大判例

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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)4157号 判決

原告

大場ユウ

右訴訟代理人

玉田郁生

外二名

被告

株式会社太陽神戸銀行

右代表者

塩谷忠男

右訴訟代理人

高橋龍彦

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一本件契約の締結について

原告が昭和四八年三月一四日、阪東建設との間で、大場ビル建設に関する契約の契約書を取り交したことば当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すれば、同日、原告と阪東建設との間で、大場ビル建築につき、原告主張の内容(但し、完成時期は昭和四八年一〇月二〇月、引渡時期は完成の日から七日以内)の工事請負契約(本件契約)が締結されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。〈中略〉

二本件契約締結に至る経緯について

1 昭和四八年二、三月ころの太陽銀行金町支店長が土屋であつたこと、千手設計の代表取締役鈴木安男が土屋と幼友達であること、千手設計が赤坂支店において、阪東建設が金町支店において、それぞれ太陽銀行の取引先であつたこと、原告が昭和四八年三月三日、阪東建設に請負代金額を三二〇〇万円に減額させたことは当事者間に争いがなく、原告が昭和四八年三月一四日、阪東建設との間で本件契約を締結したことは前記一で認定したとおりである。

2  右1の事実及び〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告と清は夫婦であるが、昭和四七年秋ころ、原告の名で大場ビルを建築することを計画し、建築に至るまでの具体的な行動は、すべて清が原告の代理人として、これを行なうことにした。清は同年一二月、千手設計の代表者の一人である高田龍一(以下高田という)に会い、大場ビルの建築設計を千手設計に依頼した。千手設計は昭和四八年二月一〇日ころ、右設計を完了し、設計図を清に引渡した。次に清は自分の取引銀行である住友銀行に、大場ビルの建築をするのに適当な建設業者の紹介を依頼し、同銀行から、三社くらい紹介を受けたが、いずれも他に仕事を持つており、着工が遅れるということであつたので、これらの業者に大場ビル建築を依頼することは断念した。

そこで、清は千手設計に建設業者の紹介を依頼した。千手設計の高田は、清に対し、阪東建設、宮本内田建設株式会社(以下宮本内田建設という)、豊国建設株式会社、西松建設株式会社、リバー建鉄株式会社の五社を推薦し、清の同意を得て、右五社に前記設計に基づく大場ビル建築工事の見積書を提出するよう求めた。その際高田は、清に右五社の経営内容を説明したが、阪東建設については、太陽銀行紹介の業者であるから推薦に値すると説明し、また、千手設計の代表者の一人である鈴木は太陽銀行金町支店長の土屋と友人関係にあるとも説明した。

(二)  高田が阪東建設を清に推薦したのには次のような事情があつた。

千手設計は従来から太陽銀行赤坂支店と取引があり、阪東建設は本間喜八郎が社長になつた昭和四七年七月ころから同銀行金町支店と取引を始めた。土屋は昭和四七年二月一日から昭和四八年三月末日までの間、右金町支店の支店長の地位にあつたが、土屋と千手設計の代表者の一人である鈴木とは小学校以来の知り合いであつた。

昭和四七年暮ころ、太陽銀行金町支店の取引先の一人である綾部澤一が、土屋に対し、同銀行から融資を受けてビル(以下綾部ビルという。)を建築したいという意向を示し、設計業者と建設業者を銀行の方で紹介してほしいと依頼した。そこで、土屋は、設計業者として千手設計を紹介し、設計の完了した昭和四八年二月ころ、建設業者として阪東建設ほか二社を紹介した。千手設計はそれまで阪東建設とは交渉がなかつたが、綾部ビルの設計監理者として、土屋の紹介した三社に見積書の提出を求めたりしたため、阪東建設と交渉を持つようになつた。

千手設計が清から大場ビルの建設業者の紹介の依頼を受けたのは、丁度阪東建設ほか二社に対して綾部ビルの見積書の提出を求めているころであつた。そして、大場ビルの建築規模が綾部ビルの建築規模に近似していたので、千手設計では、土屋から綾部ビルの建設業者として紹介を受けた三社のうち、阪東建設と多田建設株式会社(以下多田建設という。)を清に紹介する業者に加えたいと考えた。しかし、阪東建設と多田建設は綾部ビルの建設業者として土屋から紹介されたものであり、従来から千手設計と交渉のあつた業者ではなかつたので、まず、鈴木が土屋の了解をとつてから清に紹介することにした。そこで鈴木が昭和四八年二月二〇日ころ、土屋に電話して右了解を求めたところ、土屋は「銀行としては一向に差しつかえない。本人に(大場ビルの)見積に参加されるかどうか聞かれたらいいと思う。」と述べてこれを了解した。そこで、千手設計から阪東建設と多田建設に対して大場ビル建築工事を請負う意思の有無を確認したところ、多田建設は建築規模が小さいことを理由に右請負の意思はないことを明らかにしたが、阪東建設は右請負の意思があることを明らかにしたので、前記のとおり、高田は清に推薦する建設業者の一つに阪東建設を加えた。

(三)  千手設計から大場ビル建築工事の見積書を提出するように求められた五社のうち、宮本内田建設ほか一社は昭和四八年二月二三日に、阪東建設ほか二社は同月二八日に、それぞれ見積書を提出した。右見積の内容は、宮本内田建設と阪東建設がほぼ同じで約三五〇〇万円で、残り三社はこれより高く、うち二社は四〇〇〇万円台であつた。そこで、千手設計は清に右五社の見積内容を示し、阪東建設の見積が三五〇〇万五五四二円で最も安く、その内容も妥当なものと判断されるので、まず、阪東建設の責任者に会つてみるようにと勧めた。

そして、昭和四八年三月三日、清の自宅に、阪東建設の専務である星清(以下星という)、経理担当の従業員である石田勝康(以下石田という)、高田、及び清が会合して、長時間にわたつて阪東建設の見積内容の説明、阪東建設の経営内容の説明、更には請負代金額の減額交渉等がなされた。その際、清は星や高田から、阪東建設は太陽銀行金町支店と取引があること、同支店長である土屋は千手設計の代表者の一人である鈴木の幼友達で、阪東建設は土屋の紹介で綾部ビルの建築を請負うことになつていること、阪東建設の本間社長は相当の個人資産を有していること、などの説明を受けた。そして、最終的に清が、見積金額から三〇〇万円減額して三二〇〇万円の請負代金で請負うなら阪東建設に頼むという意向を示したため、星と石田は相談して、右減額を承諾した。しかし、当日は契約締結には至らず、後日正式に書面をもつて契約を締結することになつた。

そして、その日の夕刻、星は土屋に対し、「阪東建設の見積額から三〇〇万円引いた金額で大場との間の話がまとまつた。ついては大場が信用照会に金町支店に行くかも知れないが、その節はよろしく応対していただきたい。」との趣旨の電話を掛けた。

(四)  昭和四八年三月五日には、綾部澤一と阪東建設との間で、綾部ビル建設に関する工事請負契約が締結されたが、その後である同月六日ないし八日ころまでの間に一度、清が太陽銀行金町支店を訪れ、土屋に阪東建設の信用状態について尋ねた。その際の清と土屋との会話の要旨は、ほぼ別紙(二)記載のとおりであり、土屋は、本間社長の個人資産について、「本人とその取り巻きの人からは一〇億くらいの不動産を所有していると聞いている。」と述べ、太陽銀行の阪東建設への与信情況について、「戸田市と松戸市の土地建物を担保にして一億近くの融資をしている。」と述べた、しかし、阪東建設の倒産の虞れについては、それが無いとは断言せず、終始明確な返答をさけたため、清は多少気分を害したようにして席を立つたので、土屋としては多少清の機嫌を損ねたかも知れないと考え、清が帰つたあと千手設計に電話を掛け、高田に、「本日大場氏が阪東建設の信用照会に銀行に来て、何回となく(倒産の虞れについて)大丈夫ですかと質問されたが、私としては立場上大丈夫だとは言えなかつた。大場氏は最後にバッと立つて、自分自身のことだから自分自身でもう一回よく考えて決めると言つて帰つたので、場合によつては、阪東建設と大場氏との間の請負契約の話はこわれるかも知れないが、その節は悪しからず。」と述べた。

(五)  清は結局、阪東建設の信用状態については、土屋から「本間社長は個人資産として一〇億くらいの不動産を所有していると聞いている。」「太陽銀行は阪東建設に一億近くの融資をしている。」との情報を得たことで良しと判断し、昭和四八年三月一四日、阪東建設との間で原告の名で本件契約を締結した。

以上の事実が認められる。原告は清が土屋に会つたのは昭和四八年三月一日であると主張し、証人大場清の証言(第一・二回)中には、右主張に副う部分があり、甲第三号証の四(土屋の名刺)には「48.3.1」と記入されている(但し、証人大場清の証言によれば、これは清が記入したものと認められる)が、いずれも〈証拠〉に照らして措信できず、かえつて、清が太陽銀行とは取引がなく、土屋とは初対面であつたことから考えても、昭和四八年三月三日に、星や石田と会つて、阪東建設に大場ビル建設を任せるについて一応の話がまとまり、清と阪東建設との間に、特段の支障が生じない限り、将来正式に請負契約を締結するという関係が生じた後であつたから、清は一人で土屋に会いに行つたのであり、土屋も清と阪東建設との間に右のような関係が生じていることを星から連絡を受けていたからこそ、初対面の清に応対したものと認める。また、原告は土屋がしきりに「星専務と会つて契約をするように」と勧めたと主張し、〈証拠〉中には、右主張に副う部分があるが、これも〈証拠〉に照らして措信できず、清と土屋とが会つたのは、清と阪東建設との間に、特段の支障が生じない限り、将来正式に請負契約を締結するという関係が生じた後であつたことから考えても、原告主張のような強い契約締結の勧誘がなされたものとは認め難い。〈証拠判断略〉

三土屋の故意による不法行為責任について

1 原告は、信用照会の際土屋が清に対し述べた言辞に全幅の信頼を措いたから阪東建設と本件契約を締結することを決意したと主張するが、右二で認定した事実からも明らかなように、清が阪東建設の信用照会のため土屋に会つたのは、阪東建設との間で最終的な請負代金額まで決めた後であり、しかも土屋は清から何回となく、(阪東建設の倒産の虞れについて)「大丈夫ですか。」と質問されたが、明確に大丈夫であると返答していないのであるから、原告が土屋の言辞によつて、本件契約を締結することを決意したものとは認められない。

もつとも、右二で認定した事実によれば、清は阪東建設と正式に契約を締結する前に、阪東建設倒産の不安を取り除いておきたいと考えて、土屋に阪東建設の信用照会をしたものであり、土屋から阪東建設の信用状態が悪いと知らされたら、阪東建設と本件契約を締結することは見合せるつもりであつたが、土屋が、「本間社長は個人資産として一〇億くらいの不動産を所有していると聞いている。」「太陽銀行は阪東建設に一億近く融資している。」等、阪東建設の信用状態は一応良好であると受け取られるような発言をしたので、それまで有していた本件契約締結の意思を維持し、本件契約締結に至つたものであることは認められる。

2  次に原告は、土屋は、清が阪東建設の信用照会をした当時、既に阪東建設の信用状態が悪化しており、倒産の虞れもあることを知つていながら、本件契約を成立させるために、清に対して故意に虚偽の事実を告げたと主張するので、この点について検討する。

(一) まず、土屋が清に対して述べた言葉であるが、前記二で認定したとおり、ほぼ別紙(二)記載のとおりと認められるのであり、阪東建設の倒産の虞れはないと断言したことはなく、強く契約締結を勧誘したこともなかつた。また、本間社長の資産については、土屋本人の見解として述べられたものではなく、本間社長本人とその取り巻きの人から聞いた話として述べられたものであつた。

(二)  そこで、別紙(二)記載の土屋の言葉、特に、「本間社長は個人資産として一〇億くらいの不動産を所有していると聞いている。」「太陽銀行は阪東建設に一億近くの融資をしている。」という言葉が、当時の土屋の認識に反する虚偽のものであつたかどうか検討するに、本件全証拠によるも、これが虚偽のものであつたと認めることはできない。

(三)  次に、土屋は、清が阪東建設の信用照会をした当時、既に阪東建設の信用状態が悪化しており、倒産の虞れもあることを知つていたかどうかの点であるが、これも、本件全証拠によるも右のような事実を知つていたと認めることはできない。

3  従つて、土屋の故意による不法行為責任を前提とする原告の主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四土屋の過失による不法行為責任について

〈証拠〉によれば、本間社長は一〇億円に相当するような個人資産は有していなかつたこと、及び阪東建設倒産の主要な原因の一つは、高い金利で高利貸から資金を借り入れて、不動産取引に手を出していたことであり、右借入金弁済のために阪東建設が振出した手形が、昭和四八年五月一〇日ころから太陽銀行金町支店に提示されるようになつたことが認められる。従つて、清が阪東建設の信用照会に来た当時でも、土屋が入念に本間社長の個人資産や阪東建設経営内容を調査すれば右のような事実を知ることができた可能性はあるが、前記二のような経過で信用照会に来た(太陽銀行の取引先でもなく、土屋が阪東建設を紹介した訳でもない)清に対して、土屋が右のような調査義務を負うものとは到底考えられず、本間社長の財力や阪東建設の信用状態について観測を誤まつていたからといつて、土屋が原告に対して不法行為責任を負うべきいわれはない。

従つて、土屋の過失による不法行為責任を前提とする原告の主張も、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

五結論

よつて、本訴請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(牧野利秋 関野杜滋子 福田剛久)

〈別紙省略〉

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